2006.08.31 Thursday
一瞬の光,儚き人生
まだ残暑厳しい折ではあるが,
敢えて冬の話題を.
冬の,それも正月過ぎの代名詞といえば
『箱根駅伝』であろう.
拙者も実家が藤沢という東海道53次の宿場町にあったため,
駅伝でこの付近をランナーが走ると
見慣れた景色が映り,何となく嬉しくなったものだ.
花の2区が戸塚で終わり,3区に入った辺りで,
国道1号線から海岸沿いの国道134号線へと抜ける道を走り,
その後平塚までの道のりだが,
沿道に松下冷機の工場が見えればその辺りが
藤沢〜辻堂の辺りである.
話が逸れてきたので元に戻す.
箱根駅伝の往路の花と言えば2区である.
やはり戸塚中継点手前の権太坂は最後の難関であり,
過去にもエース級のランナーがここを走ったものだ.
ところで,拙者が小学生高学年〜中学生くらいだろうか.
突然それまで聞いたことのない大学が
突如として一躍トップ集団の仲間入りした覚えがある.
それが,山梨学院大学であった.
この大学は,主にアフリカから留学生を呼び,
駅伝ランナーとして陸上部に配属させていた.
その,留学生の活躍で一躍有名校となったわけだ.
その中で,とりわけ印象に残っている選手がいた.
オツオリ選手である.
彼はアフリカ人特有の,筋肉で全身を包みつつも
無駄な筋肉や脂肪が無く,
いかにもランナーといった体型をしていた.
そして,跳ぶように走り,幾多の選手を颯爽と抜いていくのだった.
子供心にも強烈なインパクトとして残っている.
久々に,そのオツオリ選手の名前を先ほど見かけたのが
下の記事である.
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <オツオリさん>箱根駅伝などで活躍…ケニアで交通事故死
何とも悲しい話である.
あれだけ駅伝で活躍しながらその後鳴かず飛ばずで,
一度は帰国したものの,今度は指導者として日本に戻っていたのである.
それが,一時帰国中に交通事故に遭ってしまったのだ.
駅伝での栄光は長く続かなかったが,
これからまだまだ長い人生を,指導者として歩み始めた矢先のことである.
本人もさぞ,無念であろう.
こう言うとき,人間という存在の小ささを実感する.
かくも簡単に命というものは散っていくのか.
神,という存在があるのならば,
かなりいたずらな存在である.
神,というのは運命を導く何か,と言い換えることができよう.
これは,人間が変えようとしても絶対に変えられないものである.
私は無神論者であり特定の宗教団体に属してはいないので,
神という言葉を使うのに抵抗があるが,
こういう『絶対の運命を導くもの』を神と定義すれば,
何でも都合が良く話がまとまるのが宗教なのだろう.
(教祖が現存するような宗教は信用しないが)
オツオリ選手がどのような宗教を信仰していたか分からぬが,
その神に魅入られてしまったのだろう.
何とも残念で,悲しい話ではあるが,
是非,向こうの世界では名ランナーとして
好きなだけ,走って欲しいものである.
敢えて冬の話題を.
冬の,それも正月過ぎの代名詞といえば
『箱根駅伝』であろう.
拙者も実家が藤沢という東海道53次の宿場町にあったため,
駅伝でこの付近をランナーが走ると
見慣れた景色が映り,何となく嬉しくなったものだ.
花の2区が戸塚で終わり,3区に入った辺りで,
国道1号線から海岸沿いの国道134号線へと抜ける道を走り,
その後平塚までの道のりだが,
沿道に松下冷機の工場が見えればその辺りが
藤沢〜辻堂の辺りである.
話が逸れてきたので元に戻す.
箱根駅伝の往路の花と言えば2区である.
やはり戸塚中継点手前の権太坂は最後の難関であり,
過去にもエース級のランナーがここを走ったものだ.
ところで,拙者が小学生高学年〜中学生くらいだろうか.
突然それまで聞いたことのない大学が
突如として一躍トップ集団の仲間入りした覚えがある.
それが,山梨学院大学であった.
この大学は,主にアフリカから留学生を呼び,
駅伝ランナーとして陸上部に配属させていた.
その,留学生の活躍で一躍有名校となったわけだ.
その中で,とりわけ印象に残っている選手がいた.
オツオリ選手である.
彼はアフリカ人特有の,筋肉で全身を包みつつも
無駄な筋肉や脂肪が無く,
いかにもランナーといった体型をしていた.
そして,跳ぶように走り,幾多の選手を颯爽と抜いていくのだった.
子供心にも強烈なインパクトとして残っている.
久々に,そのオツオリ選手の名前を先ほど見かけたのが
下の記事である.
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <オツオリさん>箱根駅伝などで活躍…ケニアで交通事故死
何とも悲しい話である.
あれだけ駅伝で活躍しながらその後鳴かず飛ばずで,
一度は帰国したものの,今度は指導者として日本に戻っていたのである.
それが,一時帰国中に交通事故に遭ってしまったのだ.
駅伝での栄光は長く続かなかったが,
これからまだまだ長い人生を,指導者として歩み始めた矢先のことである.
本人もさぞ,無念であろう.
こう言うとき,人間という存在の小ささを実感する.
かくも簡単に命というものは散っていくのか.
神,という存在があるのならば,
かなりいたずらな存在である.
神,というのは運命を導く何か,と言い換えることができよう.
これは,人間が変えようとしても絶対に変えられないものである.
私は無神論者であり特定の宗教団体に属してはいないので,
神という言葉を使うのに抵抗があるが,
こういう『絶対の運命を導くもの』を神と定義すれば,
何でも都合が良く話がまとまるのが宗教なのだろう.
(教祖が現存するような宗教は信用しないが)
オツオリ選手がどのような宗教を信仰していたか分からぬが,
その神に魅入られてしまったのだろう.
何とも残念で,悲しい話ではあるが,
是非,向こうの世界では名ランナーとして
好きなだけ,走って欲しいものである.